http://www.kitashirakawa.jp/taro/latin45.html

Orandum est ut sit mens sana in corpore sano.

* 「オーランドゥム・エスト・ウト・シト・メーンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノー」と読みます。
* orandum と est の組み合わせは動形容詞の述語的用法です。非人称構文になっています。すなわち「ut 以下のように祈られるべきである。」というのが直訳です。
* sit は sum の接続法・現在です。ut の導く従属文では接続法が使われます。
* mens は「精神」を意味する第3変化名詞、女性・単数・主格です。
* sana は mens にかかる第1・第2変化形容詞、女性・単数・主格です。意味は「健全な」です。
* corpore は「肉体」を意味する第3変化名詞、中性・単数・奪格です。in が奪格を支配しています。
* sano は「健全な」を意味する第1・第2変化形容詞 sanus,-a,-um の単数・中性・奪格です。corpore を修飾しています。
* 「健全な精神が健全な肉体にあるように祈られるべきである。」というのが直訳です。
* 「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉が誕生するきっかけとなったラテン語ですが、元の言葉はローマの風刺詩人ユウェナーリスの詩句です。
* 人間はあれこれ分不相応な欲望を持つが、願い事をするならもっとつつましく「健全な精神が健全な肉体に宿りますように」とお祈りすべきである、という主張がその詩の中には示されているだけです。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」っつーのは甚だしい誤訳らしい。

教育基本法のこと

  • 教育とは啓蒙である。如何なる教育も教え手の思想をを完全に排除する事は出来ない。
  • 啓蒙すべき、されるべき思想はその規範を決める必要がある。現在の教育基本法がそれに当たる。
  • 教育勅語の頃は教育はその受け手のイデオロギーの多くを決定した。子供達は親と学校というインタフェースしか持ち得なかった。
  • 今は子供とはいえ多くのインターフェースを持ち得る。テレビなどのマスコミ、ネット、そして昔より遙かに容易に多彩に目に入る書籍など。
  • 多くの人は小学校高学年とか中学生の頃に社会や国家の有り様に興味を持ったりするだろう。そのときに最初に刷り込まれるのは確かに学校教育なのかも知れない。
  • でも俺はの例でいえば最初に刷り込まれてから幾度とも無くそれらに対する見方を変えてきた。
  • 今の子供にとって社会を見る目を養うのに学校教育はどれほどの意味を持つのだろう。そして教育基本法の改定が実際にそれにどれだけの影響を及ぼすのか。
  • 政治はイデオロギーや思想に関与しなくなる。というより出来なくなるというのが趨勢だろう。今更、こんなのを弄って何になるのだろうか。

直リンできないので長文引用。2006/11/12の記事より
http://www.kamiura.com/new.html

なぜアメリカは寧辺を軍事攻撃できないかといえば、非武装地帯(軍事境界線)から北側に地下陣地が網の目のように作られ、そこに北朝鮮軍はソウルを射程に入れる長距離砲(170ミリ)、地対地ロケット・フロッグ7、スカッドC、多連装ロケット発射機などを幾重にも配備している。これらの兵器には弾頭に化学弾や生物弾が装填してある。これらがアメリカ軍や韓国軍の攻撃を察知すると、ソウル市街や在韓米軍の頭上に降り注ぐのである。北朝鮮朝鮮戦争後に貧者の原爆と呼ばれる生物・化学兵器で、核兵器を配備しているアメリカ軍の攻撃を抑止したのだ。これが今も生きているのである。

Inside JazzでMunyungo Jacksonってパーカッショニストが率いてるユニットがfootprintやってて格好良すぎ。バイオリンとベースが良かった。

Munyungo Jackson on Percussion
Wayne Vaughn on Piano
Karen Briggs on Violin
Andre Manga on Bass
Derf Reklaw on Flutes and Percussin
Paul Tchonga on Drums