ワラタ

垂直記録自体は別に新しくも無いと思う。何が新しいのか。

子どもを産もうと産むまいと、結婚しようとしまいと、褒められることもけなされることもない、選択の自由が保障された社会こそ、私たちが目指すべき社会ではないだろうか。「子どもが減っても、危なくない」と大見栄を切るのではなく、子どもが減る「危なさ」を素直に認め、子どもが減っても危なくならない制度を、構想すべきなのである。

子供を産まない社会を自明の理として容認する事はグローバリズムを容認する事と似てやしないか。