14〜15世紀ころ、道南には和人勢力が進出し、12の館が築かれた。
コシャマインの戦いをはじめ和人とアイヌ民族の対立は激化するが、力をつけていったのが松前藩の祖となるか蠣崎だった。
蠣崎氏は、豊臣秀吉徳川家康に臣従し、松前藩が成立する。
蝦夷地には北前船が行き来し、蝦夷地の産物は琉球・中国にまでに至った。
しかし、商売の実態は略奪的な交易が横行し、アイヌの酷使も少なくなかった。
そのため、シャクシャインの戦いやクナシリ・メナシ蜂起などのアイヌ民族の抵抗も繰り返された。
また、ロシアの南下は、徳川幕府に北方問題を意識させ、蝦夷地の直轄や各藩の「陣屋」による北方警備、近藤重蔵間宮林蔵、武浦武四郎による北方探検が行われた。