右翼とか左翼とか

今時、陳腐な対立軸だけどちょっとだけ考察してみる。

右翼=資本主義、国体重視、天皇尊重する
左翼=共産主義、国体は重視しない、天皇は尊重しない

このくらいが一般的な分け方かな。左翼=共産主義って捉えると随分旗色は悪い。今時、共産主義への移行段階なんて誰も説明できないしプロレタリアート革命が起こりそうな素振りもない。

んで、対立軸がぶれて見えづらくなっているので俺なりにその軸を二つに分けてみる。

イデオロギー的対立
左翼=国体を重視しない←→国体を重視する=右翼

経済的対立
左翼=国家による富の分配←→自由競争による富の分配=右翼



イデオロギー的対立では右翼は国家に帰依するが左翼はしない。経済的対立では逆になる。左翼がより多くを国家に期待する。だからイデオロギー的左翼で経済的右翼ってのもあり得るし逆もあるだろう。これらをゴッチャにしているから混乱する、或いは対立軸が見えづらくなる。

イデオロギー的右翼というのは論理的であればあるほど国家というモノに対する空虚を理解しながらそれを護持する。そんな空虚でも掲げない限り人間社会は如何ともし難いというのが理論的且つイデオロギー的右翼の論拠であろう。イデオロギー的左翼は平等と民主的方法論で社会の秩序を整える事が出来るとする理想主義者だ。

経済的対立では競争原理を何処までも尊ぶのが極右だろう。力のあるモノが富を得る。力のないモノは飢えて死ぬ。それが競争の極北だ。一方、極左の目指すのは「全てはその能力に応じて、全てはその必要に応じて」*1 って言葉に集約される。能力のあるモノが富を産み、富を産んだモノが富を独占するのではなくあくまで平等に分配されるべきとの考え方である。

俺はイデオロギー的には左翼でありたい。でも、それじゃ無理だろうって諦観も一部ある。経済的にはバランスを取れとしか言いようがないだろう。無論、今の世の中はそのバランスを取ろうとしている。問題なのはその対立軸がハッキリと見えていない人が多いと云う事と感じる。