生命の境界/社会の境界

久しぶりにオートポイエシスなる言葉を目にした。
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/autopoiesis.htm


生命の境界か。生命には境界があるように見えるなあ。んで、思いだしたのは民族境界論。
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/001120eb.html


生命に境界があるかどうかというのは我々の身体を想起すれば容易に確認しうるが粘菌とか考えると絶対にあるのか?とか言いたくなる。境界が曖昧な生命というのはあるのだ。さらに近頃は五界説とやらで生命の概念が大きく変化しつつある。この辺もリファレンスしたいところだ。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/lylle/seibutu_bu.html
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~inouye/ino/etc/5kingdoms.html


社会は境界がある。今、特に意識されているのは国家という境界だ。EUなどのブロック経済化が進めば国家の外側にも境界が産まれるかも知れない。何れにせよ「世界が一つ」(←小恥ずかしい)になれば境界は事実上消滅するだろう。


人間は社会の境界を意識しなくなる事があるのかな。情報や物質の交換があれば「彼方」が生じる。「彼方」と「此方」の間には境界が出来る。交換が活発になり境界が薄くなっていく。そして新たな「彼方」を作り出していく。その繰り返しじゃないのかな。いや、新たな「彼方」が出来るまでは今ある境界を温存し続けるのだろう。


今は曲がりなりにも地球全体の社会は見える状態になった。地球全体にある境界を破壊するに足る「彼方」とは地球外生命体か?(笑)