ネットワークを用いてネットワークについて語る

ネットワークを使ってネットワークコミュニティに関する話題を頻繁に取り上げる人がいる。
循環参照ってか自家中毒ってか。あんまり健全じゃないのではないだろうか。

自分が発言している立ち位置についての内省は必用だ。しかしそれは基幹を為すべきではないって思う。いや、そういう評論家もいても良いんだけどそれが多すぎるのはどんなモンだろう。

オタクとはなんぞやって事とか大まじめに論じている人(東浩紀とか)の話は面白いし傾聴に値する。社会の中でオタクって現象が持つ機能などについての考察には価値がある。しかし、オタクの内側から「俺たちってどうなのよ」って議論ばかりしていればそれはだんだんと客観的視点を失った議論に陥る可能性が高い。ネットワークの内側からそれを眺めている様もそれに近いモノを感じる。

評論の否定に非ず。評論ばっかりになってもねえって事だ。俺はなるべく軸足をネットの外側に置く。ネットにどっぷり浸かっているけど眺めるモノはそれだけじゃいけないと思う。
なんて事を言ってる事自体がネットワークについて語っているという罠。